約5300年前に死亡したと見られるエッツィの遺体は、1991年にイタリアとオーストリアの国境付近、標高3210m地点の山中で発見されました。
当時発見された場所にちなんでオーストリアの新聞記者が「エンツィ」と命名したそうですが!w
のちに発見場所がわずかに国境を越えていたことが判明し、イタリアに引き渡されたそうですw
そんなアイスマンは、イタリアのボルツァーノ県立考古学博物館で公開されていて、摂氏-6℃、湿度99%の冷凍庫の中で保管され、水分を補給する為に2ヶ月に1度だけ冷凍庫の外に出されます。
そして現在もイタリアの南チロル考古学研究所で調査が続けられているそうです。
凍った状態で見つかった有名なミイラ、アイスマンに関する情報、2012年に解凍、解剖され、そしてこれまでに明らかになったいくつかの事実を紹介したいと思います。
アイスマンと遺伝子上のつながりを持つ近縁者がいることが、DNA調査により明らかになっております。
アイスマンの男性染色体の異常マーカーに注目して研究を行っているグループの報告によると、
オーストリアのチロル地方に遺伝子上の近縁者が少なくとも19人いることが分かったというのです。
19人の血液からは、アイスマンから見つかったのと同じG-L91と呼ばれる極めて珍しい突然変異株が確認された。
それはまぁ、子孫ぐらいいますよね!w
アイスマンと19人は共通の先祖を持ち、それはおそらく1万~1万2000年前に生きていた人類ではないかと思われているそうです。
アルプスの氷河で発見されて以来、当時の健康状態をチェックする調査が行われてきたらしいですが、健康だったとは言えない状態だったことが分かっています。
40くらいの病状に悩まされていたそうです。ヤバいですね!!
腸からは寄生虫の卵も見つかったらしい。そして体内のヒ素量が危険なレベルに達していたことも分かっていて、それは金属鉱石や銅鉱石に日常的に触っていたことが原因と思われる そうです。詳細な調査の結果、重い歯周病と虫歯に悩まされていた痕跡も発見されています。
多くの疾患を抱え、肩には受けたばかりと思われる矢の傷もあったものの、頭部への一撃が致命傷で命を落としたようです。
アイスマンの凍りついたミイラには、銅器時代の入れ墨が残っている。
合計50を超える入れ墨が頭から足先まで全身を覆いつくすように刻まれているんです。
入れ墨は針を使って彫られたのではなく、皮膚に細かな傷をつけて、そこに炭を擦り込んで入れたようです。
線や十字の形をした入れ墨は、関節痛や腰痛などの傷害や痛みが起こりやすい箇所に集中していて、一部の研究者は鍼治療のツボの目印として入れ墨を入れたのではないかと推測している。
これが事実なら、体のあちこちの治療を必要としていたことになるが、年齢と持病の多さを考えるとそれほど驚くことではないですね。
アイスマンの最後の食事に関する情報は、学者たちにとって最高の情報だったんです。
胃の中からは30種類の花粉が発見され、花粉の分析結果はエッツィが春か初夏に死亡したことが分かる。
さらに、分析結果をもとに、死ぬ前の彼の足取りを辿ることもできる。
完全に消化されていない胃の中の物は、アイスマンが死ぬ2時間前くらいに最後の食事を取ったと推測できる。
食事の内容は穀物とアイベックスの肉だそうです。アイベックスは足の速い野生のヤギの一種です。
博物館を訪れる人たちによれば、それは単に銅器時代のミイラに対面するということだけではなく、完璧な状態で保存されている彼の装備品も大きな魅力を持っていると言っています。
世間にも広く知られることのない人間が死んだとして、遠い未来にその人間が発見された時にどれだけのことが分かるだろうか?w
もし今の自分たちに例えるなら、所持している薄い金属(スマホ)からいろんなことが分かるだろうし、ってかそれを分析できるほどの技術は存在しているのか?w
5000年以上前にアルプスで死ぬ前はこんなに騒がれると思ってなかっただろうな!w
アイスマンには古代の謎に迫る手がかりがたくさん詰まっていたんです。
これから技術が発展していけばもっと多くの真実が判明すると思います。